お賽銭は投げて入れているけど神様に失礼ではない?

お賽銭といえばお金を思い浮かべますが、かつてはお米でした。散米、散供、打撒(うちまき)といって、罪穢れを清めるために神前に撒いて、同時に神さまへお供えもしていました。いまでも神さまに奉納する金銭を初穂料と称しているのはお米を納めていたときの名残です。静かにお賽銭を投げ入れ、清々しい気持ちで参拝しましょう。

古事記では、数々の乱暴狼藉をはたらいた須佐之男命は、千位置戸(ちくらのおきど=罪穢れをあがなうために出す品物を置く台)を科し、多くの品物を出すことによって罪をあがなったとあります。ここには罪穢れを付着させた品物を神前に差し出すことで、それらを祓うとの意味があらわれています。

お参りするときにどうして鈴を鳴らす?

参拝者を清々しい鈴の音色で敬虔な気持ちにするとともに、祓い清めるものと考えられています。巫女さんが神楽を舞うときに用いる神楽鈴も、お守りなどの授与品に鈴がついているのもそのためです。

古事記では、天の岩屋戸にお隠れになった天照大御神の心を開くために、天宇受売命(あめのうづめのみこと)が鈴をつけた矛を持って舞ったことが記されています。

鈴

☛☛古事記解説

神社の御扉はなぜ閉まったまま?

お寺に行けば常に立派な像を拝むことができますが、神社では本殿の扉は閉じられており、中を見ることができません。古事記には神がはじめて生まれたとき、身体は隠れて見えなかったと記されています。神は目ではなく心でみるものと考えられているためです。

しかし、完全に閉ざされているということではなく、扉、つまり「戸」というのは、格子戸にもみられるように、外のものが内に伝わってくる、内のものが外から伝わってくるという意味です。ですので、神様と我々を隔てるものではありません。

なぜ、鏡は神様の方を向いていない?

神様からみた自分の姿が映されています。神様の眼です。神様への畏れを感じていた日本人は鏡の前で、神への感謝と自分の心の清浄を意識していました。科学が発達した現代では人間の奢りが目立ちますが、生かされていることへの感謝を忘れないようにしたいものです。
御鏡

神社の正面に両端にある五色の旗は何?

神話の天の岩戸開きに由来します。天照大御神のお出ましを願って、神々が一計を案じる場面があります。天の香具山から榊(さかき)の木を根こそぎにして、その枝に勾玉(まがたま)と八咫鏡(やたのかがみ)をつけ、さらに下の枝に白和幤(しらにぎて)、青和幤(あおにぎて)(白や青の布)をつけました。この榊を天の岩戸の前に運び、布刀玉命(ふとだまのみこと)が捧げ持ち、天児屋命(あめのこやねのみこと)が祝詞を奏上しました。全国の神社の装飾はこの太古の姿が受け継がれ、神話が今も息づいています。

白和幤、青和幤は大陸から入ってきた「陰陽五行」の影響を受け、後に五色絹に変化します。青は季節は春で、方角は東、要素は木を表しています。赤(朱)は夏で南、火。白は秋で西、金。黒(または紫)は冬で北、水。黄色は立春、立夏、立秋、立冬の前18日間の土用で、方角は四方の中央を意味します。これらのことから「青春」や「朱夏」、「北原白秋」の名が生まれました。

神社の欄干にある玉ねぎ坊主のようなものは何?

大陸から入ってきた陰陽五行に対して、「五大」という教えがあります。五つの大いなる力のことで、お墓などに見られる五輪塔はこれをよく表現しています。

一番下の台は「土」を表し、その上の丸い石は「水」、その上の笠は「火(光)」、その上の台は「風(空気)」、一番上にあるのが、玉ねぎのような形をした宝珠の玉で「空」。土に種を蒔いただけでは命の芽は出ず、水もお日さまの光も、目に見えない空気も必要で、この四つが揃って初めて命が生まれます。これら四つの大いなる宇宙の力を「空」といって、宝珠の玉であらわしています。

この宝珠の玉は、御殿や橋の欄干や、灯篭や塔の九輪の上に、仏様の頭上や手の中に目にします。これは私たちが一人で生きているのではなく、宇宙の大いなる目に見えない力によって生かされていると教えてくれています。
画像の説明

三種の神器とは?

ににぎの命が葦原の中つ国(日本)に天降るとき、天照大神が授けた鏡・剣・勾玉です。それぞれの徳は「すべてのものを明らかに見ること」「天下の諸悪を討ち平らげること」「すべてに円満、融通無碍なること」と日本書紀にあります。
☛☛ご祭神

神道と仏教の起源は?

仏教は飛鳥時代に日本に伝来しました(日本書紀によると552年)第33代推古天皇の時代に各地で寺院が建てられました。仏教は寺院、塔をもち、阿弥陀様や観音様など目に見えるかたちで仏像が描かれました。

これに対して当時の神道と神社は「神道」、「神社」という言葉も持っていませんでした。「神道」という言葉が始めて記録されたのは日本書紀の第31代用明天皇の条にある「天皇信佛法尊神道」(天皇、仏法を信じ、神道を尊びたまふ)です。外来の宗教である仏教に対して初めて、日本固有の信仰を意識して、そう呼ぶようになりました。寺院と同じように、常に神様をお招きできる建築物を建てられ神社が造られるようになります。

神道は宗教?

私たちの祖先は、山や川、雨や風など人知では及ばないことをすべて神として崇めました。さまざまな神々のはたらきかけによって生産が成り立ち、幸福な生活がおくれると考えて、八百万といわれるほどのたくさんの神を信じました。このように、神道は古代から自然発生した信仰生活からうまれました。神社での祭祀儀礼はすべてこの延長にあります。

「神道=宗教」という概念がうまれたのは戦後のことで、1945年に連合国軍総司令部(GHQ)により「神道指令」が発令され、神社が国家から分離することを命じられました。GHQの宗教改革によって神社がなくなるという危機感をもった神社界の有志たちにより、いまの「神社本庁」が設けられ、全国の神社はこれに包括されました。さらに翌年の1946年に神社は「宗教法人」として認可され、町の公民館的な役割を果たしていた神社は、仏教やキリスト教などと同じ「宗教」として正式に定められました。

神社で一番えらい神社は?

伊勢神宮(正式には神宮)です。戦前、神社は皇室を中心として仰ぎ、国家によって管理されてきましたが、戦後、GHQの政策により国家との関係を切り離されました。そこで、皇祖を祀る伊勢神宮を本宗(ほんそう)として、団結することになりました。しかし、他宗教の本山のようなものではありません。各神社はそれぞれ独立した存在で、いわば神社界の精神的な柱です。

家で神棚はどうおまつりする?

神饌(しんせん)
通常、米、酒、塩、水をお供えします。この場合、米や塩は平瓮(ひらか)、水は水器、酒は瓶子(へいし)という白い祭器具が用いられます。また、魚、乾物、野菜、果物などもその大きさに合わせた平瓮に盛ります。

お供えは下図のように米を中心とし、次に酒、塩、水をお供えします。そのほか、季節の初物や戴き物も、神棚にお供えしてから家族でいただくのも良いでしょう。

神饌供え方

お神札(おふだ)
三社造り
真ん中に神宮大麻(天照皇大神宮)、向かって右に氏神さまのお神札、向かって左にその他に崇敬する神社のお神札を入れて祀ります。
一社造り
手前に神宮大麻(天照皇大神宮)、その後ろに氏神さまのお神札、さらにその後ろに、その他に崇敬する神社のお神札を重ね入れて祀ります。

旅行先でうけたお神札は、三社造り、一社造りともに崇敬神社の後ろに重ね入れます。

神棚は神様のお住まいです。天照大神は太陽神なので、北側に安置して南向きか、西側に安置して東向きにお祀りするのがよいとされています。毎年新しいお神札をお祀りすることで、神様から新しいお力をいただきましょう。

そうすることで、日常生活の中にも神様とのつながりを実感することができます。私たちの日々の暮らしをいつも見守ってくださっていることへの感謝の心をもち、1日の始まりと終わりに神棚にむかって手を合わせ、心を落ち着かせる。そんな習慣を身につけられてはいかがでしょうか。

.お札供え方

なぜ神宮大麻をおまつりする?

天皇のご先祖である天照大御神をお祀りすることが、古くから日本人のならわしでした。天照大御神のご神徳によって秩序づけられ、日々発展していくという生活習慣は、私たちの先祖からの貴重なメッセージです。それをお祀りする伊勢神宮でつくられる神宮大麻は昔も今も、全国の神社を通じて各家庭に頒布されています。神宮大麻を家庭で祀ることは、かつては一生に一度は訪れてみたいといわれた伊勢神宮を、遠くからお参りすることにもなるのです。

心豊かな生活は、神さまとの日々の会話から始まります。日本人の清く明るい心は、毎年あらたまる神宮大麻と氏神さまのお神札から育まれます。毎年新しいお神札を受け、清らかな一年を過ごすことを心がけましょう。

なぜ神宮大麻は薄紙に包まれている?

薄紙は、家庭や会社でおまつりされるまでに汚れが付かないようにするために貼られています。おうけになった後は、丁寧に外してからおまつりしましょう。

うちには神棚がないのですが、どうすればよい?

神棚の据え付けがどうしても難しい場合は、タンスの上などにお祀りしてもかまいません。ライフスタイルにあった方法で、まずお祀りすることから始めてみてください。

喪中にお神札をうけてもよい?

家族が亡くなると、故人の弔いに専念することから、忌中の期間は神棚に白紙を貼るなどして、家庭でのお祀りは遠慮します。一般的には最大で50日(仏教でいう四十九日)たった後にお神札をおうけください。

喪中は鳥居をくぐらずに鳥居の脇から神社に入れば大丈夫?

鳥居は神様がおられる神聖な場所(神域)と我々が生活している場所(俗界)の境にある門のようなものです。喪中は神道でいう「穢れ」にあたり、神社の境内(神域)に入ってはいけないということです。鳥居をくぐらずに脇から入ればよいという意味ではありません。

お神札、お守りはいくつももって大丈夫?

神さまはそれぞれのおちからを発揮してお守りくださいますので問題ありません。古事記では、お隠れになった天照大御神のおちからを取り戻すために、神々がそれぞれのご神徳をを発揮する様子が描かれています。
古事記解説

お神札、お守りはいつまで有効?

有効期限があるわけではありません。お神札、お守りは神様の御霊がおいでになる「お家」です。私たちの家が年末に大掃除をして1年間の埃や汚れをきれいにして、清々しく新年を迎えたいと願うのと同じように、ともに暮らす神様にも清々しく私たちを見守って下さるよう、新たなお神札、お守りへお移りいただきます。古いものは、1年間お守りいただいた事に感謝して神社にお礼参りをしてお返しします。

神社でお預かりしたお神札、お守りは神主が祝詞を奏上して、神様の元のところへお帰りいただきます。その後に浄らかな火で焼き上げられます。この行事は「とんど焼き」といわれます。

お守り

なぜ食事の時「いただきます」という?

私たちの食べ物は、土と水と太陽の恵みがなければ人の力だけではどうにもなりません。古来、日本人はそうした自然の働きの中に神々の力を感じてきました。食事をとることを「御飯を食べる」と言います。「御飯」という言葉で食事全体をあらわしています。お米は日本人の主食ですから、当然かもしれません。

では、お米はどこからきたのでしょうか。古事記では、天照大御神が孫の天津彦々火瓊瓊杵命に、国民が生活の主食とするよう稲穂を与えられたことが記されています。天照大御神は、皇室の御祖神として伊勢の神宮に祀られていますが、太陽神であるともいわれます。天照大御神は、八百万の神々のなかで、もっとも尊い神様として信仰され、現在も皇室はもちろんのこと全国の人々に崇敬されています。食事ごとに何気なく「いただきます」といっているのは、このような信仰があるためです。

また、「いただきます」の時には、仏教の影響もあり手を合わせるのが一般的ですが、古くでは一拝一拍手してからするのが古来の作法です。古事記によると、第21代雄略天皇が奈良の葛城山へ狩りに行かれたときに、天皇と同じような格好をした一行に出会う場面があります。天皇が「汝何者だ?」と問うと、「我は葛城の一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)だ」との返事がありました。天皇は恐縮して、自分の大事な刀や弓矢、一緒にいる一行の衣服などを献上しました。すると一言主大神は喜びの柏手(かしわで)を打って受け取りになったということです。そのため、日本人はものを頂くときに喜びの表現として、縦の拝礼と横の拍手をセットで「いただきます」といいます。
食事

お祭りはなぜおこなう?

日本で行われている神社のお祭りは、神様を認め、神様をお悦ばせし、神様と一つになろうという行事です。

この世で何が一番嬉しいかというと、人から認められるということです。女性でも自分の美しさを認めてもらえれば嬉しいし、男性でも自分の仕事が認められれば嬉しく感じます。神様もまた、人間が神様の素晴らしさを認めれば悦ばれ、最高のお恵みを下さるのです。

お祭りでは、我欲を捨てて、神様の素晴らしさを認め、そして最高のご馳走である神饌(しんせん)をお供えし、祝詞、つまり美しい言葉で神様をたたえ、また神楽歌でたたえ、そして、御巫が舞を舞って神様の素晴らしいお姿を表現してお悦びいただく。これが昔からの祭りの姿であり、日本人本来の生き方そのものです。

太古の昔は山、森そのものを神様の依代(よりしろ)として崇めました。そして、山へ入ったらどこでお祭りするかわかるように、大きな岩や木を依代にして神様を降臨してお祭りを行いました。それが磐座(いわくら)であり、ご神木です。

ですから最初は、今の神社にあるような御殿はありませんでした。仏教が入ってきてお寺の建物ができ、神社も建物を造っていこうということになったのです。

夏祭り秋祭りというように、お祭りは季節と関係がある?

神道の祭りは季節と密着しています。そして、祭りが1年を定める根拠になっています。春夏秋冬の語源は祭りとの関係から生まれました。

ハルは「張る」に通じ、草木の芽がふくらむこと、また、田畑を墾る(はる)、さらには気候が晴る。

ナツは穢れ、災厄をものに撫でつけて祓い流す「撫づ」。今でも、お盆には人形(ひとがた)を作って、それで身体を撫で、穢れを人形に移して海や川に流すということも行われています。夏は疫病が発生しやすい季節であり、稲の生育に害となる虫が多く発生する時期でもあります。京都の八坂神社の祇園祭も災厄の除去を祈ったことにはじまります。

アキは「飽き食い」。秋は収穫された豊穣な穀物などを飽き満ちるほどもたらしてくれた神に感謝します。

フユは「殖ゆ」。暖かくなる春を待つ間に、万物の命の再生を待つ期間でもあり、新しい生命が「殖ゆ」期間です。稲作をしている場所は、この冬の期間に田んぼをゆっくりと休ませることになります。その間に田んぼの中には新しい「御霊」が殖えて、次の年にはまた沢山のイネが収穫されることになるわけです。これを「御霊の殖ゆ」と表現しています。神主が奏上する祝詞にも「恩頼」と書いた「みたまのふゆ」が神の恵みの意で使われます。こうして神の恩恵にあずかり、また新たなハルを迎えるのです。

一番えらい神様は?

天照大御神とされています。伊耶那岐神が黄泉の国から戻って、穢れを祓い清めるために禊を行った際、左目を洗ったときに現れた神様です。右目を洗ったときには月読神、鼻を洗ったときには建速須佐之男神が現れました。これらの神様で天照大御神は「天に照り輝く太陽のような優れた神」であったため、父親の伊耶那岐神は地位を天照大御神に譲りました。

後に、天照大御神の孫の、ににぎの命が葦原の中つ国(日本のこと)を治めます。ににぎの命は、やがて大山祇命の娘の木花之佐久夜毘売と出会って結婚し、三柱の御子を生みます。その三代あとに初代天皇である神武天皇が生まれます。

これにより、天照大御神は皇室神として、また「日の神」として、もっとも位の高い神様にあります。そのため、天照大御神を祀っている伊勢の神宮は、神社の本宗(ほんそう)とされているのです。

☛☛ご祭神

日本の神様と外国の神様はどう違う?

西洋で言う「GOD」は、キリスト教で言えば唯一絶対・全知全能の「GOD」が存在して、その神に祈りを捧げ救いを求めるということになるのですが、それに対して日本の「カミ」は神が存在するということではありません。人知でわからない何か素晴らしい存在を神といっているのです。

大和言葉の「カ」はお母さんの「カ」。いのちを生み出すというような意味。「ミ」というのは、美しいとか満ち満ちたという意味。いのちの根元を生み出す素晴らしい力を持ったお方というのが「カミ」という表現です。

神道の神様を「GOD」と訳したら神社の御本殿の中に「GOD」がいらっしゃる。その中に全知全能のキリスト様がいらっしゃると思うかもしれませんが、そうではありません。

神様をかたちで表すほうがわかりやすい。しかし、かたちで表したのでは、そこに真実の神さまはいらっしゃらない。日本の神様というのは、かたちをみせない、全然顕れないけれども、神を感じるというのが本当なのではないでしょうか。内から出てくる神様のいのちを感じる。内からの美を表そうとするのが日本人です。また、外から飾ろうとするのではなく、あらゆるものに内からの神様の美を表そうとするのが日本人です。

神主さんが奏上しているのはどういうもの?

祝詞(のりと)といいます。祝詞とは、神職が神様に奏上する言葉であり、お供えものをして、御神徳への称辞を奏し、新たな恩恵を祈願するというのが祭典の一般的な形です。

その起源は、古事記に天の岩屋戸のくだりのなかで、天照大御神がお隠れになられた天の岩屋戸の前で、天児屋命(あめのこやねのみこと)が祝詞を奏上したとされています。

倭の国は皇神の いつくしき国 言霊のさきはふ国

万葉集にこのような歌があるように、日本では言霊に対する信仰がみられます。言葉には霊力、すなわち神の力があるのでよい言葉を唱えればよいことが現れ、悪い言葉を唱えれば悪いことが現れると伝えられてきました。婚儀など祝儀の際に忌み言葉を使わないように注意をはらうのも、こうした考え方によります。神主さんが奏上する祝詞は、神様への言葉ですから、一字一句に流麗で荘重な言い回しを用いて、間違えることがないよう慎重に奏上されます。

☛☛大祓詞

神社ではなぜ数え年?

年齢の数え方には、お正月を迎えることにより年齢を一歳加える数え年と、自分の誕生日ごとに一歳の年齢を加える満年齢があります。年末年始に神社へ行くと、厄年の表が貼ってあるのをよく見かけますが、年齢は数え年で書かれています。それは、お正月が各家庭で年神様を迎えて、新たな年の五穀豊穣と家族の幸せを祈る大切な行事であり、そのときに家族皆が一歳ずつ年をとる「数え年」がふさわしいと考えられてきたためです。明治時代に旧暦から新暦へ改められ、年齢の数え方も数え年から満年齢へと変わっていきました。しかし、母親のお腹の中のなかにいる十月十日を合わせて、生まれてきたときを一歳とする数え年は、真実に近くて深い感じがします。

今年が厄年ですけど、どう過ごしたらよい?

本来、厄年は長寿を祝う還暦や古希などと同じく、晴れ(ハレ)の年齢と考えられていました。厄年を迎えることは、地域社会において一定の地位となることを意味し、宮座※への加入や神輿担ぎなど神事に多く関わるようになります。このため心身を清浄に保ち、言動を慎む物忌(ものいみ)に服する必要があったのです。厄年の「厄」は神様にお仕えする神役の「役」といわれます。

現在では生活環境も様々ですので、このような意味合いは薄れています。一方で、私たちの人生にはタイミングは違えど誰もが大きな節目を持っています。節目にはエネルギーの状態が不安定になりがちで、ついつい無理をして病気になったり、災難に見舞われることもあります。そういった人生のターニングポイントにあたる年こそが現代の厄年といえ心身の安定を忘れないことです。外へ外へと向かっていた意識を自身に向け直してみてください。これまでの周りの人やものへ感謝をして、神社仏閣へお参りして自分をみつめなおしてみるのもよいかもしれません。

※氏子さんが中心となって神社の祭祀、運営をおこなうもの。その組織で中心的な存在が頭屋(とうや)。

厄年表

厄年のお祓いはいつお参りすればよい?

厄年は、元日にそれぞれ一歳加齢する「数え年」で年齢を数えます。厄年は心身を清め、自身の行いを見つめなおす期間とされ、神社で厄除のご祈祷をうけます。年始より節分までにうけるのが一般的です。

仏滅の日でもお参りしてよい?

六曜には、仏滅や友引という仏事と関わり合いそうな言葉が多く使われていますが、仏教、神道とも一切関係はありません。

もともと中国で誕生した時刻の吉凶占いで、室町時代に日本に渡来しました。人気が出始めたのは、江戸時代の終わりごろ。戦後に大流行し、いつしか暦に記されるようになり現在に至ったといわれています。勝負事で何事も引分けになる日、「共引」など、勝負事に関する内容が多く、縁起を担ぐことから、元々は賭場の間で用いられ出したものではないかと考えられています。釈迦は占いを禁じていますし、また、浄土真宗では親鸞が「日の吉凶を選ぶことはよくない」と迷信を否定しています。あまり気にし過ぎることなく、一つの慣習として考えればいいでしょう。

おみくじは引いたあと、持って帰るか神社で結びつけるかどちらがよい?

おみくじは「いつの」「何を」神様にお尋ねになりたいのかを思い浮かべながら引きます。その「いつの」が大事です。今年一年なら今年中、旅行なら旅行期間中、今日の運勢なら今日中は持っていましょう。それが終われば近くの神社のおみくじ結び処に結びます。木の枝に結ぶのは生育によくないので避けたほうがよいでしょう。

何度もおみくじを引くのは「神意」を疑うことにもつながりますから避けましょう。神社にもよりますが、大吉・吉・中吉・小吉・半吉・末吉・末小吉・凶・小凶・半凶・末凶・大凶の順です。凶が出ても悪いおみくじではありません。神様からのあなたへの注意だからです。「あなたのこのままでの生き方だと・・・となりますよ。・・・のように改めなさい」とのお言葉ですので、真摯に耳を傾けてお聞きになり、そのように生活を改めれば決して悪い方向にはむかわないでしょう。

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