お賽銭は投げて入れているけど神様に失礼ではない?

お賽銭といえばお金を思い浮かべますが、かつてはお米でした。散米、散供、打撒(うちまき)といって、罪穢れを清めるために神前に撒いて、同時に神さまへお供えもしていました。今でも神さまに奉納する金銭を初穂料と称しているのはお米を納めていたときの名残です。静かにお賽銭を投げ入れ、清々しい気持ちで参拝しましょう。
古事記では、数々の乱暴狼藉をはたらいた須佐之男命は、千位置戸(ちくらのおきど=罪穢れをあがなうために出す品物を置く台)を科し、多くの品物を出すことによって罪をあがなったとあります。ここには罪穢れをうつした品物を神前に差し出すことで、それらを祓うとの意味があらわれています。

お参りするときにどうして鈴を鳴らす?

参拝者を清々しい鈴の音色で祓い清めるものと考えられています。巫女さんが神楽を舞うときに用いる神楽鈴も、お守りなどの授与品に鈴がついているのもそのためです。
古事記では、天の岩屋戸にお隠れになった天照大御神の心を開くために、天宇受売命(あめのうづめのみこと)が鈴をつけた矛を持って舞ったことが記されています。

鈴

古事記解説

お参りは正面に並んで順番に参拝するのがよい?

人気の神社では並ばれる方が多いですが、正面で参拝しないとご利益がないということはありません。逆に正面はおそれ多いと遠慮して脇のほうで参拝される方もみられます。混んでいないときは正面からじっくりとお参りして、混んでいるときは後ろの人が気にならない脇のほうから、自分の時間でお参りされてはいかがでしょうか。

神社の御扉はなぜ閉まったまま?

お寺に行けば立派な像を拝むことができますが、神社では本殿の扉は閉じられており、中を見ることができません。古事記には神がはじめて生まれたとき、身体は隠れて見えなかったと記されています。神は目ではなく心でみるものと考えられているためです。
しかし、完全に閉ざされているということではなく、扉、つまり「戸」というのは、格子戸にもみられるように、外のものが内に伝わってくる、内のものが外から伝わってくるという意味です。神様と我々を隔てるものではありません。家の神棚も、お正月に新しいお神札と取り替えるまでは基本的には閉めたままです。

なぜ鏡は神様の方を向いていない?

神様からみた自分の姿が映されています。神様の眼です。神様への畏れを感じていた日本人は鏡の前で、神への感謝と自分の心の清浄を意識していました。生かされていることへの感謝を忘れないようにしたいものです。
御鏡

神主さんが奏上しているのはどういうもの?

祝詞(のりと)といいます。祝詞は「祈願者がこのように参られ、このような祈願をしております。つきましては、うまくいきますように恐れ多くも申し上げます」と神職が神様に奏上する言葉です。その起源は、古事記の天の岩屋戸のくだりのなかで、天照大御神がお隠れになられた天の岩屋戸の前で、天児屋命(あめのこやねのみこと)が祝詞を奏上されたときとされています。最古の祝詞は、平安時代に編纂された「延喜式」に二七編収められています。神職はそれらを基礎にして祝詞をしたためています。

倭の国は皇神の いつくしき国 言霊のさきはふ国

万葉集にこのような歌があるように、日本では言霊信仰があります。言葉には霊力があり、良いことを言えば良いことが起こる。悪いことを言えば悪いことが起こる。祝儀の際に忌み言葉を使わないようにするのも、このような考えがあります。結婚式では「ケーキを切ります」「これで終わります」ではなく、「入刀します」「お開きにします」と言い換えます。スルメを「あたりめ」と言うのも「スル」を連想し、葦(あし)は「悪し」に通じるとして「よし」。猿は「去る」を連想するので、反対の意味の「得る」を擬人化して「エテ公」。
延喜式祝詞には、奈良時代以前の言葉が用いられ、現代には馴染みの薄い言葉ですが、編纂された平安時代でさえ古い言葉でした。古い言葉で綴った祝詞には神々と感応する神秘の力が備わるとされます。神主さんが奏上する祝詞は、神様への言葉ですから、一字一句に流麗で荘重な言い回しを用いて、間違えることがないよう慎重に奏上されます。
大祓詞

神社の正面に両端にある五色の旗は何?

神話の天の岩戸開きに由来します。天照大御神のお出ましを願って、神々が一計を案じる場面があります。天の香具山から榊(さかき)の木を根こそぎにして、その枝に勾玉(まがたま)と八咫鏡(やたのかがみ)をつけ、さらに下の枝に白和幤(しらにぎて)、青和幤(あおにぎて)(白や青の布)をつけました。この榊を天の岩戸の前に運び、布刀玉命(ふとだまのみこと)が捧げ持ち、天児屋命(あめのこやねのみこと)が祝詞を奏上しました。全国の神社の装飾はこの太古の姿が受け継がれ、神話が今も息づいています。
白和幤、青和幤は大陸から入ってきた「陰陽五行」の影響を受け、後に五色絹に変化します。青は季節は春で、方角は東、要素は木を表しています。赤(朱)は夏で南、火。白は秋で西、金。黒(または紫)は冬で北、水。黄色は立春、立夏、立秋、立冬の前18日間の土用で、方角は四方の中央を意味します。これらのことから「青春」「朱夏」「北原白秋」などの名がうまれました。

神社の欄干にある玉ねぎ坊主のようなものは何?

大陸から入ってきた陰陽五行に対して、「五大」という教えがあります。五つの大いなる力のことで、お墓などに見られる五輪塔はこれをよく表現しています。
一番下の台は「土」を表し、その上の丸い石は「水」、その上の笠は「火(光)」、その上の台は「風(空気)」、一番上にあるのが、玉ねぎのような形をした宝珠の玉で「空」。土に種を蒔いただけでは命の芽は出ず、水もお日さまの光も、目に見えない空気も必要で、この四つが揃って初めて命が生まれます。これら四つの大いなる宇宙の力を「空」といって、宝珠の玉であらわしています。
この宝珠の玉は、御殿や橋の欄干や、灯篭や塔の九輪の上に、仏様の頭上や手の中に目にします。これは私たちが一人で生きているのではなく、宇宙の大いなる目に見えない力によって生かされていると教えてくれています。
宝珠の玉

お神札、お守りはいくつももって大丈夫?

昔から八百万の神というように、たくさんの神さまが協力し合ってそれぞれのおちからを発揮してお守りくださいますので問題ありません。
古事記では、お隠れになった天照大御神のおちからを取り戻すために、神々がそれぞれのご神徳を発揮する様子が描かれています。
古事記解説

お神札、お守りはいつまで有効?

有効期限があるわけではありません。お神札、お守りは神様の御霊がおいでになる「お家」です。私たちの家が年末に大掃除をして1年間の埃や汚れをきれいにして、清々しく新年を迎えたいと願うのと同じように、ともに暮らす神様にも清々しく私たちを見守って下さるよう、新たなお神札、お守りへお移りいただきます。古いものは、1年間お守りいただいた事に感謝して神社にお礼参りをしてお返しします。
神社でお預かりしたお神札、お守りは神主が祝詞を奏上して、神様の元のところへお帰りいただきます。その後に浄らかな火で焼き上げられます。この行事は「とんど焼き」といわれます。
お守り

おみくじは引いたあと、もってかえるか神社で結びつけるかどちらがよい?

おみくじは「いつの」「何を」神様にお尋ねになりたいのかを思い浮かべながら引きます。その「いつの」が大事です。今年一年なら今年中、旅行なら旅行期間中、今日の運勢なら今日中はもっていましょう。それが終われば近くの神社のおみくじ結び処に結びます。木の枝に結ぶのは生育によくないので避けたほうがよいでしょう。
何度もおみくじを引くのは「神意」を疑うことにもつながりますから避けましょう。神社にもよりますが、大吉・吉・中吉・小吉・半吉・末吉・末小吉・凶・小凶・半凶・末凶・大凶の順です。凶が出ても悪いおみくじではありません。神様からのあなたへの注意だからです。「あなたのこのままでの生き方だと・・・となりますよ。・・・のように改めなさい」とのお言葉ですので、真摯に耳を傾けておききになり、そのように生活を改めればよいでしょう。

神社での上座下座は?

上位と下位で考えます。神前、中央に近いのが上位。次に、神様から見て中央から左側(向かって右側)、右側(向かって左側)の順です。参列者の場合、一番えらい人は前列中央、次に神様からみて左、右の順になります。
左右の順は諸説あります。古事記でイザナギの命が国生みの時に、柱を左にまわったから、最高神の天照大御神がイザナギの命の左目から生まれたからなど。私たちが食卓を囲むとき、ご飯を左側に、お味噌汁を右側に置くのも瑞穂の国ならではの左上位の考えからきているという説もあります。

神社ではなぜ数え年?

年齢の数え方には、お正月を迎えることにより年齢を一歳加える数え年と、自分の誕生日ごとに一歳の年齢を加える満年齢があります。年末年始に神社へ行くと、厄年の表が貼ってあるのをよく見かけますが、年齢は数え年で書かれています。それは、お正月は各家庭で年神様を迎えて、新たな年の五穀豊穣と家族の幸せを祈る大切な行事であり、そのときに家族皆が一歳ずつ年をとる数え年がふさわしいと考えられてきました。お正月に「あけましておめでとう」というのは、だれもが一歳年がふえる誕生日を意味するためです。
明治時代には旧暦から新暦へ改められ、年齢の数え方も数え年から満年齢へと変わっていきました。しかし、母親のお腹の中のなかにいる十月十日を合わせて、生まれてきたときを一歳とする数え年は、真実に近くて深い感じがします。

厄年のお祓いはいつお参りすればよい?

厄年は、元日に一歳加える「数え年」で年齢を数えます。厄年は心身を清め、自身の行いを見つめなおす期間とされ、神社で厄除のご祈祷をうけます。年始から節分までにうけるのが一般的です。

今年が厄年ですけど、どう過ごしたらよい?

本来、厄年は長寿を祝う還暦や古希などと同じく、晴れ(ハレ)の年齢と考えられていました。厄年を迎えることは、地域社会において一定の地位となることを意味し、神輿担ぎなどの神事に多く関わるようになります。このため心身を清浄に保ち、言動を慎む物忌(ものいみ)に服する必要がありました。厄年の「厄」は神様にお仕えする神役の「役」といわれます。
現在では生活環境も変わりこのような意味合いは薄れています。一方で、私たちの人生にはタイミングは違えど誰もが大きな節目を持っています。節目にはエネルギーの状態が不安定になりがちで、つい無理をして病気になったり、災難に見舞われることもあります。そういった人生のターニングポイントにあたる年こそが現代の厄年といえます。外へと向かっていた意識を自身に向け直し、みつめなおしてみるのもよいかもしれません。
厄年表

仏滅の日でもお参りしてよい?

六曜には、仏滅や友引という仏事と関わり合いそうな言葉が多く使われていますが、仏教、神道とも一切関係はありません。
もともと中国で誕生した時刻の吉凶占いで、室町時代に日本に渡来しました。人気が出始めたのは、江戸時代の終わりごろ。戦後に大流行し、いつしか暦に記されるようになり現在に至ったといわれています。勝負事で何事も引分けになる日、「共引」など、勝負事に関する内容が多く、縁起を担ぐことから、元々は賭場の間で用いられ出したものではないかと考えられています。釈迦は占いを禁じていますし、また、浄土真宗では親鸞が「日の吉凶を選ぶことはよくない」と迷信を否定しています。あまり気にし過ぎることなく、一つの慣習として考えればよいでしょう。

家で神棚はどうおまつりする?

お神札(おふだ)
三社造り
真ん中に神宮大麻(天照皇大神宮)、向かって右に氏神さまのお神札、向かって左にその他に崇敬する神社のお神札を入れて祀ります。
一社造り
手前に神宮大麻(天照皇大神宮)、その後ろに氏神さまのお神札、さらにその後ろに、その他に崇敬する神社のお神札を重ね入れて祀ります。旅行先でうけたお神札は、三社造り、一社造りともに崇敬神社の後ろに重ね入れます。

神棚は神様のお住まいです。天照大御神は太陽神なので、北側に安置して南向きか、西側に安置して東向きにお祀りするのがよいとされています。毎年新しいお神札をお祀りすることで、神様から新しいお力をいただきましょう。
そうすることで、日常生活の中にも神様とのつながりを実感することができます。私たちの日々の暮らしをいつも見守ってくださっていることへの感謝の心をもち、1日の始まりと終わりに神棚にむかって手を合わせ、心を落ち着かせる。そんな習慣を身につけられてはいかがでしょうか。

.お札供え方

神饌(しんせん)
通常、米、酒、塩、水をお供えします。米や塩は平瓮(ひらか)、水は水器、酒は瓶子(へいし)という白い祭器具を用います。また、魚、乾物、野菜、果物などもその大きさに合わせた平瓮に盛ります。
下図のように米を中心とし、次に酒、塩、水をお供えします。そのほか、初物や季節の食べ物、いただき物なども、まずお供えしましょう。ただし、ネギ、玉ねぎ、ニンニクなどのにおいの強いものは通常控えます。

神饌供え方

うちには神棚がないのですが、どうすればよい?

明るく正常な場所、南か東向き、家族みんながお参りできる場所がよいでしょう。白い紙を敷き、そこにお神札をお祀りします。お供え物は、コメ、酒、塩、水の4種など、器はご家庭にあるものでかまいません。大切なのは神様を敬い真心をこめてお祀りすることです。

神棚と仏壇は同じ部屋でもよい?

同じ部屋でもよいでしょう。一般的には、神棚と仏壇は横並びか上下に少し間隔をあけて設けます。上下の場合には神棚を上に祀ります。お供え物は別にします。

神棚にお寺のお札をまつってもよい?

お寺のお札は仏壇がある場合には仏壇に、ない場合には神棚の隣などにお祀りしましょう。

なぜ神宮大麻をおまつりする?

天皇のご先祖である天照大御神をお祀りすることが、古くから日本人のならわしでした。天照大御神のご神徳によって秩序づけられ、日々発展していくという生活習慣は、私たちの先祖からの貴重なメッセージです。それをお祀りする伊勢神宮でつくられる神宮大麻は昔も今も、全国の神社を通じて各家庭に頒布されています。神宮大麻を家庭で祀ることは、かつては一生に一度は訪れてみたいといわれた伊勢神宮を、遠くからお参りすることにもなります。毎年新しいお神札をうけ、清らかな心で一年を過ごしましょう。

喪中にお神札をうけてもよい?

家族が亡くなると、故人の弔いに専念することから、忌中の期間は神棚に白紙を貼るなどして、家庭でのお祀りは遠慮します。一般的には最大で五十日(仏教でいう四十九日)たった後にお神札をおうけください。

喪中は鳥居をくぐらずに鳥居の脇から神社に入れば大丈夫?

鳥居は神様がおられる神聖な場所(神域)と我々が生活している場所(俗界)の境にある門のようなものです。喪中は神道でいう「穢れ」にあたり、神社の境内(神域)に入ってはいけないということです。鳥居をくぐらずに脇から入ればよいという意味ではありません。

故人の弔いで気をつけることは?

亡くなってから一年間は、しのび手といって拍手するときに音を立てません。そっと手を合わせます。一年かかって死者の国(夜見の国)に往くとされ、それまでの間は神様ではありません。一年たったら祖先の国へ行って神様になるので、音を立てて拍手して手を合わせます。
赤ちゃんが生まれてくるのに母親の胎内で十月十日かかって五体そろって生まれてきますが、その逆をいくのが死とすれば、個人があの世へいって浮かばれるように神道では、十日祭、五十日祭、一年祭をおこないます。

神道と仏教の起源は?

仏教は飛鳥時代に日本に伝来しました(日本書紀によると552年)第33代推古天皇の時代に各地で寺院が建てられました。仏教は寺院、塔をもち、阿弥陀様や観音様など目に見えるかたちで仏像が描かれました。
これに対して当時は「神道」「神社」という言葉はありませんでした。「神道」という言葉が始めて記録されたのは日本書紀の第31代用明天皇の条にある「天皇信佛法尊神道」(天皇、仏法を信じ、神道を尊びたまふ)です。外来の宗教である仏教に対して初めて、日本固有の信仰を意識してそう呼ぶようになりました。寺院と同じように、常に神様をお招きできる建築物が建てられ神社ができるようになります。

神道は宗教?

私たちの祖先は、山や川、雨や風など人知では及ばないことをすべて神として崇めました。さまざまな神々のはたらきによって生産が成り立ち、幸福な生活がおくれると考えて、八百万といわれるほどのたくさんの神を信じました。このように、神道は古代から自然発生した信仰生活からうまれました。神社での祭祀儀礼はすべてこの延長にあります。
「神道=宗教」という概念がうまれたのは戦後のことで、1945年に連合国軍総司令部(GHQ)により「神道指令」が発令され、神社が国家から分離することを命じられました。これに危機感をもった神社界の有志たちにより、いまの神社本庁ができ、全国の神社はこれに包括されました。さらに翌年の1946年に神社は宗教法人として認可され、町の公民館的な役割を果たしていた神社は、仏教やキリスト教などと同じ「宗教」として正式に定められました。

一番えらい神社は?

三重県の伊勢神宮です。正式には「神宮」と呼ばれます。皇室のご祖神である天照大御神がお祀りされている神社ですが、広く日本全土をお守りしている総氏神さまでもあります。伊勢神宮は神社の中心ですが、他宗教の本山のようなものではなく、各神社はそれぞれ独立しています。
ほかに「神宮」と名のつく神社は天皇と深く関わりがある神社で、明治時代以降に創建されたものが多いです。一方で、江戸時代まで「神宮」とつく神社は、伊勢神宮以外には茨木県の鹿島神宮と千葉県の香取神宮だけです。それは鹿島、香取を氏神とし、皇室との関係が深かった中臣(藤原)氏の影響から、神宮の名が与えられたためといわれています。

一番えらい神様は?

天照大御神とされています。伊耶那岐神が黄泉の国から戻って、穢れを祓い清めるために禊を行った際、左目を洗ったときに現れた神様です。右目を洗ったときには月読神、鼻を洗ったときには建速須佐之男神が現れました。これらの神様で天照大御神は「天に照り輝く太陽のような優れた神」であったため、父親の伊耶那岐神は地位を天照大御神に譲りました。
のちに、天照大御神の孫の、ににぎの命が葦原の中つ国(日本のこと)を治めます。ににぎの命は、やがて大山祇命の娘の木花之佐久夜毘売と出会って結婚し、三柱の御子を生みます。その三代あとに初代天皇である神武天皇が生まれます。
これにより、天照大御神は皇室神として、また「日の神」として、もっとも位の高い神様にあります。天照大御神を祀っている伊勢の神宮は、神社の本宗(ほんそう)とされています。
ご祭神

神様はなぜ「みこと」というの?

命、尊の字があてられますが、もとは尊貴な人の御言(みこと)、御言葉。神々や尊い人の仰せ言。神社、神棚の前で祈る姿のうちに、神々の御言が聞こえてくるような気がするでしょうか。

日本の神様と外国の神様はどう違う?

西洋で言う「GOD」は、キリスト教で言えば唯一絶対・全知全能の「GOD」が存在して、その神に祈りを捧げ救いを求めるということになります。それに対して日本の「カミ」は神が存在するということではありません。人知でわからない何か素晴らしい存在を神といっています。
大和言葉の「カ」はお母さんの「カ」。いのちを生み出すというような意味。「ミ」は、美しいとか満ち満ちたという意味。いのちの根元を生み出す素晴らしい力を持ったお方というのが「カミ」という表現です。
神道の神様を「GOD」と訳したら神社の御本殿の中に「GOD」がいらっしゃる。その中に全知全能のキリスト様がいらっしゃると思うかもしれませんが、そうではありません。神様をかたちで表すほうがわかりやすい。日本の神様というのは、かたちをみせない、全然顕れないけれども、神を感じるというのが本当なのではないでしょうか。内から出てくる神様のいのちを感じる。内からの美を表そうとするのが日本人です。また、外から飾ろうとするのではなく、あらゆるものに内からの神様の美を表そうとするのが日本人です。

なぜ食事の時「いただきます」という?

私たちの食べ物は、土と水と太陽の恵みがなければどうにもなりません。古来、日本人はそうした自然の働きの中に神々の力を感じてきました。食事をとることを「御飯を食べる」と言います。「御飯」という言葉で食事全体をあらわしています。お米は日本人の主食ですから、当然かもしれません。
では、お米はどこからきたのでしょうか。古事記では、天照大御神が孫の天津彦々火瓊瓊杵命に、国民が生活の主食とするよう稲穂を与えられたことが記されています。天照大御神は、皇室の御祖神として伊勢の神宮に祀られていますが、太陽神であるともいわれます。天照大御神は、八百万の神々のなかでもっとも尊い神様として信仰され、現在も皇室はもちろん全国の人々に崇敬されています。食事ごとに何気なく「いただきます」といっているのは、このような信仰があるためです。
また、「いただきます」の時には、仏教の影響もあり手を合わせるのが一般的ですが、一拝一拍手してからするのが古来の作法です。古事記によると、第21代雄略天皇が奈良の葛城山へ狩りに行かれたときに、天皇と同じような格好をした一行に出会う場面があります。天皇が「汝何者だ?」と問うと、「我は葛城の一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)だ」との返事がありました。天皇は恐縮して、自分の大事な刀や弓矢、一緒にいる一行の衣服などを献上しました。すると一言主大神は喜びの柏手(かしわで)を打って受け取りになったということです。そのため、日本人はものを頂くときに喜びの表現として、縦の拝礼と横の拍手をセットで「いただきます」といいます。
食事

お祭りはなぜおこなう?

人は自分の利益だけを求めてもやがて行きづまりますが、誰かのために何かをして喜んでもらえれば自分もうれしくなります。神様を悦ばせるのはこれ以上にどんなに楽しいかということです。
お祭りでは、神饌(しんせん)をお供えし、祝詞、つまり美しい言葉で神様をたたえ、神楽歌でたたえ、御巫が舞を舞って、神様にお悦びいただく。これが昔からの祭りの姿です。

夏祭り秋祭りというように、お祭りは季節と関係がある?

神道の祭りは季節と密着しています。そして、祭りが一年を定める根拠になっています。春夏秋冬の語源は祭りとの関係から生まれました。
ハルは「張る」に通じ、草木の芽がふくらむこと、また、田畑を墾る(はる)、さらには気候が晴る。
ナツは穢れ、災厄をものに撫でつけて祓い流す「撫づ」。お盆には人形(ひとがた)を作って、それで身体を撫で、穢れを人形に移して海や川に流すということが行われています。夏は疫病が発生しやすい季節であり、稲の生育に害となる虫が多く発生する時期でもあります。京都の八坂神社の祇園祭も災厄の除去を祈ったことにはじまります。
アキは「飽き食い」。秋は収穫された豊穣な穀物などを飽き満ちるほどもたらしてくれた神に感謝します。
フユは「殖ゆ」。暖かくなる春を待つ間に、万物の命の再生を待つ期間でもあり、新しい生命が「殖ゆ」期間です。稲作をしている場所は、この冬の期間に田んぼをゆっくりと休ませることになります。その間に田んぼの中には新しい「御霊」が殖えて、次の年にはまた沢山のイネが収穫されることになります。これを「御霊の殖ゆ」と表現しています。神主が奏上する祝詞にも「恩頼」と書いた「みたまのふゆ」が神の恵みの意で使われます。このようにして神の恩恵にあずかり、また新たなハルを迎えるのです。

お盆には神社では何をする?

神社ではお盆の行事はしません。仏教で盂蘭盆経というお経があり、7月15日にあの世で苦しみを受けている死者を供養し救う行事が説かれています。これがもとから日本にあった先祖の霊を供養する習わしと合わさりました。7月13日夕方に迎え火を焚いて、先祖の精霊を迎えて精霊棚に祀ります。7月16日に送り火を焚いて、先祖をお送りします。明治時代に旧暦から新暦に変わりそのまま7月に行おうとすると、農作業が忙しくなる時期と重なるため、西日本では1か月遅らせることにして月遅れとされました。
仏教では、先祖はすでに仏の世界である極楽浄土に往っているか、輪廻転生の中で再生していると考えられていますので、霊を迎えるというのは矛盾しています。この霊を迎えるというのは、仏教というよりもとから日本にあった死後の考え方によります。それは、死者は生きている者と同じところに居ながら、次元が違っているという考え方です。
神道では、死の直後の死者の霊を死霊と呼びます。この死霊は山の低いところにいて個性をもち穢れをもっていますが、子孫がこの死霊を祀ることによって、死霊はだんだん個性を失い浄化され山の高いところへ昇っていきます。一定の年月が過ぎて完全に浄化された死霊は、穢れや悲しみを超越した清い和やかな祖霊となります。この祖霊がさらに昇華されると祖先神になります。それが氏神です。
一方で、川や海の彼方にあの世があるとも考えられていたので、地域によっては海や川に送り火を流して精霊送りを行います。

三種の神器とは?

鏡と勾玉
天照大神が天岩屋戸に隠れ、外で神々が祭りをしたとき、榊(さかき)で飾られたのが鏡と勾玉。天宇受売命(あめのうづめのみこと)が、鏡で天照大神自身を映し、興味をもたせて外へ引き出しました。そのため、鏡は太陽の象徴とされ、天照大神のご神体として崇められることになりました。


スサノオノミコトが出雲で倒した八岐大蛇(やまたのおろち)の尾から出てきたとされ、天照大神へ献上されました。八岐大蛇がいるところには、常に空に雲がかかっていたことから、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とよばれました。

三種の神器は、ににぎの命が葦原の中つ国(日本)に天降るとき、天照大神から授けられました。
それぞれの徳は
鏡  すべてのものを明らかに見ること
剣  天下の諸悪を討ち平らげること
勾玉 すべてに円満、融通無碍なること
と日本書紀にあります。

以後、三種の神器は天皇家に引き継がれましたが、第10代崇神天皇のとき、あまりに恐れ多いということで鏡と剣は模造され、宮中には形代とされる鏡と剣がおかれます。もとの鏡と剣は第11代垂仁天皇のときに垂仁天皇の娘の倭姫命(ヤマトヒメノミコト)によって、伊勢の地に祀られました。(伊勢神宮の縁起)

剣は後に、倭姫命から甥の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)へ渡ります。尊が東国の平定にむかう際に渡され、駿河の国で草を薙ぎ払って敵を征伐し、以来、草薙剣と呼ばれます。尊は東国からの帰途、尾張国造の御子(みこ)である宮簀媛命(みやすひめのみこと)を妃にされ、やがてこの国に剣を留めてこの世を去ります。宮簀媛命は尊の意思をくんでここに社を立て草薙剣を奉安しました。(熱田神宮の縁起)

【奉安場所】
鏡  伊勢神宮の内宮(形代は宮中三殿の賢所)
剣  熱田神宮(形代は皇居の「剣璽の間」)
勾玉 皇居の「剣璽の間」 

ご祭神

本殿がない神社があるの?

例えば、奈良の大神神社は三輪山そのものをご神体としているため、拝礼を行う拝殿はありますが、ご神体を安置する本殿はありません。
太古の昔は山、森そのものを神様の依代(よりしろ)として崇めました。山へ入ったらどこでお祀りするかわかるように、大きな岩や木を依代にして神様を降臨してお祀りを行いました。それが磐座(いわくら)であり、ご神木です。ですから最初は今の神社にあるような御殿はありませんでした。飛鳥時代に日本に仏教が入ってきてお寺に建物ができ、神社にも広がっていきました。




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