鳥居と注連縄(しめなわ)

「鳥が居る」で「鳥居」。

當麻山口神社鳥居

太陽神である天照大神が、天岩屋戸(あめのいわやと)から出てこられたときに、二度とお隠れにならないようにと、天岩屋戸の前にまわし架けたのが注連縄だとされています。縄張りをして、「天照大神様がいるべき神聖な場所は、この縄の張っているこちら側ですよ」と示したのです。この由来から、神聖な場所の境に張られるようになりました。

注連縄

また、このときにニワトリを止まらせた木が、そのまま鳥居の名と形になったといわれています。そのデザインは、縄の本体は雲、紙垂(しで)は雷光を示し、〆の子は雨の様子を表しています。稲の無事な成長のためには、雨の恵みが不可欠だったのです。

新年や、収穫の後の秋や、田植え前の春など、1年の節目に注連縄を架け替えます。注連縄は聖域を示す縄張りであり、稲作を中心にしてきた日本人の豊作の願いのあらわれでもあります。

また、岩屋戸から出てきたときに、天照大神は自分の光で神々の顔が白くみえて、「あな(ああ)、おも(面)、しろい」とおっしゃいました。「面白い」はそこからきているのです。

なお、「注連」と書くのは、昔中国で亡くなった人の出棺後、家に入る前に清めの水を注いだ縄を重ねて張り、二度と死者の霊魂が家に戻ってこないようにという風習があったとされます。

平田春日神社
古事記解説

大祓(おおはらえ)

日本人はきれい好きといわれておりますが、私たちの祖先は清浄を貴び、清く明るい生活態度を心がけてきました。しかし、日常生活の中で気付かぬうちにあやまちを犯し、罪やけがれを身につけてしまいます。その罪けがれを祓い清め、神さまからあたえられた清浄なもとの姿に立ち返ることを願い、神社では6月30日に夏越の祓、12月31日に年越の祓をおこないます。過去半年間を反省し、心身を祓い清め、次の半年を気持ちを新たに迎えてきました。

夏越の祓では茅の輪をくぐります。茅の輪は植物の葦からできており、神話では日本は「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」と呼ばれ、葦が豊かに実る瑞々しく美しい国とされてきました。古くより命の源である水を浄化してくれるこの不思議な植物を、夏越大祓の茅の輪くぐりなどに用い、自分自身の浄化と暑い夏を乗り切れるよう願いを託したのです。

大祓詞

祝詞のなかで日本で一番古いものとされています。春日大社に携わる人、藤原氏の祖先、神事を司っていた中臣氏の誰かが神の声を聞いて、これをいわゆる大和言葉で書いたものだとされています。

この祝詞を唱えれば、すべての罪穢れが祓われるという素晴らしい神様のお言葉であると昔から言われています。この祝詞だけが昔からずっと続き、毎日、全国の神社で唱えられています。

祓いというのは、ひらがなにすると「はらい」。「は」は、生まれるという意味。「は」をふたつくっつけて、「はは」は子供を生み出す「お母さん」、また木の葉の「は」も二酸化炭素を光合成によって生物を生かす酸素に換えるので「は」といっています。「ら」は、「ぼくら」「きみら」の「ら」で、「たくさん」という意味。「はら」(腹)は、赤ちゃんを育てる力がたくさんある所だから「はら」。「い」は「いのち」の意味。お米の「いね」は命の根っこです。よって、「はらい」とは「いのちがたくさんうまれる」という意味です。

それに対して「つみ」というのは、漢字で書くと何か悪いことをしたときの罪というように思われますが、そうではなくで、神様からいただいた素晴らしい本当の姿をつつみ隠してしまうことなのです。また、「けがれ」も「穢れ」とかいて何か汚いものをイメージするのですが、これは「気枯れ」が本当で、神様からいただいた「気」を枯らしてしまうという意味なのです。

このように罪穢れは、人間を生かす「気」を衰えさせるマイナスのもとで、我欲のあらわれであるとしてお祓いをするのです。

また、「はらい」というと自分についてしまった「つみ」をはらうというイメージがありますが、それでは、横の人にそれが移ってしまいます。そういう取り除くとするものではありません。イソップ物語の「北風と太陽」のように、強い風でビュンビュン吹かせて脱がせるのではなく、暖かい太陽の光で自然に脱いでいった、自然に消えていくというのが祓いではないかと思います。

そして、「大祓詞」の「大」は「公」という意味です。祓いというのは、個人の祓いというものに違いないけれども、それだけでなく、国全体を祓うという大きな発想のもとに行われています。国の幸せ、周囲の人の幸せということを考え、それが自分の幸せにつながると考えて生活してきたのです。

大和言葉

文字が中国からやってくる前、日本人は言葉で意思疎通をはかっていました。そして、その言葉の一語一語には意味があってつくられています。特定の言葉ではなく、日本の原点の言葉という意味で使います。神主さんが奏上する祝詞は、すべて大和言葉で書かれています。
例えば、、

ひかり
ひ=神様の御霊
かり=籠もる(こもる)

美しい光を見て、きれいだ、神様がいらっしゃる、神そのものだと感じて、「ひかり」という言葉が出来ています。
太陽の力なしでは生命は生まれません。ですから、太陽の力も神様として称えられて、おひ(神様の御霊)さまといいます。
私たちの体は、ただの物ではありません。体の奥深いところに神秘の無限の力が宿っています。それで、男の子はひこ(彦)、女の子はひめ(姫)といいます。ひ(神様の御霊)が体に止まっているからひと(霊止)。神様にふさわしい行いをする者がひと(霊止)で、そうでないのがひとでなしです。


さけ(酒)
さ=稲の御霊
け=氣
稲の氣が入ったアルコールがさけ(酒)

その苗がさなえ(早苗)、これを植える女性がさおとめ(早乙女)。稲を植える月をさつき(五月)、神様の気が入ったアルコールがみき(神酒)。みこし(神輿)は神様の乗り物です。「み」も「ひ」と同様に神霊を意味します。


つき
つ=丸い。「つつ」と二つつながると丸くて長い「筒」。
き=奇。不思議だなという意味。

つき」は三日月になってみたり、丸くなってみたり不思議なものだなあと。丸くて不思議だなという意味が「つき」です。


清める
き=神様の素晴らしい気
よ=漢字で「余」と書いて「たくさん」
める=「薄める」などというように「おこなう」という意味

「きよめる」というのは、「神様の気をたくさん生まれさせる」という意味なのです。



ゆ=神様の居る神聖な

神社内にある庭は、斎庭(ゆにわ)といいます。神主さんの奏上する祝詞にもよく使われています。
「産湯」は、生まれた赤ちゃんを湯で清潔にするというのではなくて、神様のいる神聖な湯につけて、禊(みそぎ)をして、人生の第一歩を踏みだす神事です。
亡くなったら湯灌(ゆかん)。仏事ではありません。仏教が入ってきたのは、約1500年前。それまでは神道でしていました。亡くなれば神様の国へ帰っていくので、神聖な湯でふき清めて禊をする。これも神事です。


訪れ
「音連れ」。目に見えない神霊の動きを、音によって感じてきた古代人の感性から生まれた言葉といわれています。
「秋きぬと目にはさやかに見えぬども風のおとにぞ驚かれぬる」(古今和歌集)この歌からも、神々の来訪を風の音など、自然のかすかな変化から感じ取ってきた日本人の豊かな感性が読み取れます。

さくら
「歳の神(田の神)が宿る神蔵」。
桜の木の芽が動き出したら田んぼを起こし、花が咲いたら種もみを播き、花が散ったら田んぼに水を張り、新緑が出そうなところで田植えを始める、、というように桜の木のサイクルが稲作とぴったり合っていて暦代わりとして田んぼの近くに植えられるようになりました。この田んぼを中心としたコミュニティー社会が4月始まり3月終わりという年度サイクルをつくり、これをもとに祭りや行事が行われ、文化にも影響を及ぼしています。

ハレとケ

日常生活(ケ)が続くと、だんだん気が枯れてくる(ケガレる)。それを晴らし気を取り戻すのがハレ(気晴らし)で、その結果、気が元に戻って「元気」になる。そのためにハレの日を年に何度か用意していました。それが祭りです。

また、例えば京都の八坂神社の参道は四条通りとして参道沿いにはおみやげ屋さんが並んでいます。昔から、寺社の参詣は心が晴れ晴れとするもので、娯楽的な趣もあったのです。

「中庸」と「道」

日本人は昔から、移り変りのなかに神を見るという人生観を持っています。夕方、西の空に沈む真っ赤な夕日の姿に感動し、それを神様のお姿として拝むように、昼から夜に移り変わる夕方に神をみてきました。すなわち、「中庸」に神をみてきたのです。

ち=神の知恵、いのち
ゆう=結う、結ばれて現れること
よう=様、姿

このように、神のいのちが現れた姿のこと。神が現れたら、そこは「うつくしい」のです。
日本人の美に対する文化は、神様の姿に近づき、それを表現しようとすることです。それは、剣道、柔道、茶道、華道などの「道」という考え方のなかにもあらわれています。勝負を超えて、「練習」ではなく「稽古」を通して神様に近づく、神の美を現すということです。

中今(なかいま)を生きる

神道の考え方で「今を生きる」という意味です。過去のことにとらわれないで、あれこれ先のことを考えてとり越し苦労をしないこと。日常の生活を精いっぱい充実して生きる。功徳をつんで、死後、極楽浄土へ行くという教えの仏教とは違います。視点が現世です。この世を精いっぱい生きる。

今、自分がここにいるのは両親、祖父母をはじめとして、命の連続の中で生きています。日々の生活の中では、人は自分のちからで生きていると思いがちですが、この世にいる自分は多くの祖先の血を引き継いでいます。そして子孫へと中継ぎしていきます。だから自分は一人ではありません。そう考えると、気分が落ち込んだ時でも「おじいさんも今の私と同じようなことがあったのかな」などと、気持ちに余裕をもてるようになるでしょう。

恩頼(みたまのふゆ)

祝詞によく使われ、神の神秘な働きや恵みのことをいいます。
何故このように読むのでしょうか。

諸説ありますが、春は木の芽が張るところからハル。夏は稲がナリタツや暑いが転じてナツ。秋は天候が明らかだからアキ。冬は御魂が殖ゆる時期だからフユと言われています。

冬に「ふえる」というのは、御魂や自然界の生命力が、冬は太陽の力の衰えと共に弱くなってきます。そこで冬は暖かい春が訪れるまでひたすら心身を清め、行動を慎み、自らの生命を更新する期間と考えられてきたのです。

祭りの前の「お籠り」や、陰暦月末の「晦(つごもり)」も、これに通じています。植物も冬になると地上部は枯れているように見えますが、地下部は枯れていません。来春に向けて増殖する生命力を宿しています。

そしてこの忌籠りが明けたとき、新しい一年が始まります。こうした意味での昔の新嘗の行事の内容は、今ではむしろ正月の行事になっているといえます。正月におもちを食べて数え年の年とり(生命の更新)をするというのは、新穀を陛下親ら召されて、皇祖神の恩頼をいただくという皇室での新嘗祭と根の部分でつながったものといえます。時代に流れで、本来は新嘗の行事だったものが、正月の行事に移ったといえます。

君が代

太古の昔、日本国をリードしていたのは、祈りができて、太陽や月、星の動きがわかっている者でした。それらの動きをみて、「今から種をまきなさいよ、もうすぐ台風が起こりますよ、もうじき稲刈りをしなさいよ」というふうに指導できるものが卑弥呼のようなリーダーでした。不思議な力をもち、天文学、暦を知っている者、それを「日知り」(聖)といいました。

そのように祈りができる者がリーダーになってきましたが、今も国民が平和で過ごせますようにと絶えず祈っているのが、日本の象徴である天皇です。神社でも、神様にお供えをして祝詞をあげて、日本の国の人々が幸せでありますように、天皇様がご安泰で日本の人々が平和で幸せでありますようにと、お祀りしています。天皇様は国民のために幸せを祈ってくれる。だから我々は天皇様がいつまでもご安泰で末々なるまでも栄えていきますように、そして我々のために祈りをささげてくださいといっているのが「君が代」です。

世界の国歌は戦いの歌が多いですが、君が代は天皇様を中心としていつまでも平和でありますようにという穏やかな歌です。歌詞は古今和歌集から、「詠み人知らず」とされています。
君が代

建国記念の日

戦前までは紀元節と呼ばれていました。
日本書紀では、初代天皇である神武天皇が即位した日が辛酉(かのととり)正月とあり、紀元前660年1月1日とされています。これを新暦に直して2月11日を紀元節として、1872年(明治5年)に制定されました。戦後、GHQにより神道の考えを排除しようとその祝日はなくなりましたが、その後、紀元節を復活させようとする動きが高まり、1966年(昭和41年)に「建国記念の日」となりました。

元旦

新年の始まりの朝を元旦といい、各家庭に歳神様をお迎えするため、注連縄をはり、門松をたて、鏡餅等を供えて準備をします。元旦の「旦」は、地平線から昇りつつある太陽、つまり日の出を表します。歳神様は祖霊の性格をもつとされ、祖先に見守っていただいていることへの感謝をし、氏神様や崇敬神社をお参りして、前年の反省や新たな年を清々しく送れるようにお祈りします。
元旦

初詣

年が明けて始めて神社やお寺にお参りすることをいいます。まずご自分の住んでいる地域をお守りくださる氏神様にお参りして、一年間の無事を感謝し、新しい年のご加護を祈ります。

歳旦祭

新年最初のお祭り。まず神様に新年のご挨拶を申し上げて、五穀豊穣と国家の繁栄、国民の幸福を祈願します。

神宮大麻

&size(18){家庭で拝礼するお伊勢さまのお神札。1年毎に新年を迎える前に新しくお受けして神さまのご加護をいただきます。
奉製にあたっては、伊勢の神宮で1月上旬から過ちなく清浄につくられるよう祝詞が奏上され、4月中旬に神宮大麻の中心となるご用材を伐り出すにあたりお祭りがあり、その後月に数度、奉製された神宮大麻がお祓いをうけます。そして、9月中旬には多くの家庭に無事届けられるよう内宮神楽殿でお祭りが斎行されます。このとき全国の神社庁長へ伝えられ、その後、各神社庁、各神社へ届けられます。

おみくじ

「御御籤」とかき、尊敬の接頭辞の「み」にさらに「お」をつけた呼び方です。吉凶にかかわらず、神様の御言(みこと)として心に受け止め、折に触れて自分への戒めとしましょう。ですから、ご神木や結びところに結うよりも持ち帰るほうが効果があるでしょう。
もとは公的な事業の決定や後継者選びなどで使われてきましたが、現在のように個人の吉凶を占うようになったのは、鎌倉時代始めの頃からです。
何度もおみくじを引くのは「神意」を疑うことにもつながりますから、避けたほうがよいでしょう。神社にもよりますが、大吉・吉・中吉・小吉・半吉・末吉・末小吉・凶・小凶・半凶・末凶・大凶の順です。
おみくじ

絵馬

古くから馬は「神様の乗り物」として神聖視され、祈雨や武運を祈って、生きた馬を献上した記録が残っています。やがてその馬を絵に代えたことにより、「絵馬」となりました。遺跡の出土品から、すでに奈良時代には絵馬の奉納が行われていたことがわかっています。室町時代から馬以外の図があらわれ、次第に大型化していき、江戸時代後期になると、今日よく見られるような吊るしたり掛けたりする形式になっていきました。五角形をしているものが多いのは、厩舎の屋根を模した名残です。

絵馬の本来の意味は、「神様に喜んでいただく捧げもの」であるので、お祈りごとだけでなく、神様への感謝や喜ばせる言葉、自分の抱負を宣言するとよいでしょう。
絵馬

破魔矢

元来、破魔弓と一式になったものであり、年占いの際におこなわれた弓射を起源にするものといわれています。各地区ごとに弓射を競い、勝ったほうがその年の豊作に恵まれるというもので、作物の豊凶を占うためにおこなわれてきました。江戸時代以降、子供の成長の無事を祈る縁起物として、装飾を施した弓と矢が男児の初正月や初節句に贈られるようになりました(女児は羽子板)。その後、簡略化されて、矢だけが1年の幸運を射止める縁起物として、正月に神社で授けられるようになったとされています。

本来「ハマ」とは弓射に用いた丸い的のことを指します。後に「ハマ」が「破魔」に通じるとして、魔を破り、災厄を祓う矢として信仰されています。

神棚や床の間など正常な場所に飾りましょう。矢先の方角については特に決められた方向はありません。
破魔矢

門松と鏡餅

祖先の霊は山に鎮まるという考えがあります。祖霊はお正月には、山から歳神様として子孫を訪れます。そこで、家に迎える目印として立てられるものです。一般的に神様というと、神社などに出向いてお参りするものですが、歳神様は各々の家に迎えてお祀りします。

門松は、平安時代から始まったとされていますが、最初は松だけの素朴なものでした。竹が組み合わされるようになるのは室町時代からです。冬でも葉が枯れることのない常緑樹の松も成長が早い竹も、生命力や繁栄の象徴です。

一旦、家の前の門松にお寄りいただき、家に着いた歳神様が次に移るのが鏡餅です。お餅が昔の鏡のように丸いことから鏡餅とよばれたようです。鏡は天皇家が代々受け継いでいる三種の神器の一つで、神様が宿るものです。鏡の形を象った鏡餅を食べて神様のパワーを分けてもらいましょう。

橙(みかん)は、実が木についたまま年を越すことから子孫が代々(=橙)栄えるように。 
裏白は、古い葉と新しい葉が一緒に成長するシダの葉の特徴から末永く繁栄するように。

門松鏡餅

お年玉

古くは今日のようなお金ではなく、丸いお餅をお年玉として贈ったものでした。玉は魂に通じます。私たちの祖先は、魂は丸い形をしていると考えていたので、年始めに子供たちの健やかな成長を願い、健全な魂を身に鎮めさせるために、神前に供えた丸餅を贈る習慣が生まれたようです。今も昔が子供たちが心躍らせるお年玉ですが、まずは神棚にお供えして祈りを込めてから、神前で一人ひとりに手渡したいものです。

お正月料理

お正月の料理には、それぞれに祈りが込められています。例えばお屠蘇には山椒、桔梗(ききょう)などの薬草が含まれており、これをいただくことで一年の邪気が祓われ、寿命をのばすことができると考えられています。本来、おせち料理とは、正月や節句に神さまにお供えするご馳走のことをいいました。また、お雑煮はお供え物のお下がりをごった煮にしていただいたのがはじまりです。お供え物には神様の御霊が宿り、それをいただけば、あらたなお力を授かることができると信じられてきました。

黒豆やごまめ(田作り)は、くろぐろとまめに働き、田を作るとの縁起を担いでいます。
数の子やさといもには子孫繁栄の願いが込められています。
昆布巻には、よろこぶという意味があります。
半円型のかまぼこは日の出を表し、新年を祝います。

お屠蘇おせち料理

七草

古来、中国では正月七日に七草の野草を食し、邪気を避けようとする風習がありました。これが日本で行われていた若菜を積んで食す風習と重なり、七日の朝に七つの薬草の入ったお粥をいただくことで、無病息災や長寿を願うようになりました。私たちは自然からの恵みをいただいて生きていることを感じます。
七草

節分

「季節を分ける」の意味で節分。立春、立夏、立秋、立冬の前日のことです。昔の日本人は季節の変わり目に鬼(邪気)が生じると考えており、そこで祓いを節分に行っていました。

立春を新年と考えれば、節分は大晦日。平安時代の宮中では、大晦日に陰陽師らによってその年の厄や災難を祓い清める追儺(ついな)の儀が行われていました。それが次第に室町時代以降は豆をまいて鬼を追い出す行事へと発展し、庶民にも伝わっていきました。そして、江戸時代ごろには立春の前日だけを節分と呼ぶようになりました。

鬼に豆をまく風習は、鬼は邪気や厄の象徴で、豆は「魔滅」に通じるからといわれています。鬼に角があり、トラ柄のパンツをはいているのは、鬼門に由来します。鬼門は鬼が出入りするとされる北東の方角で、十二支では丑寅(うしとら)の方角にあたります。そのため、牛(丑)の角をもって、虎(寅)のパンツを身につけているとされています。

狛犬

境内などに対で並んでいますが、両方とも狛犬ではありません。一般的に、向かって右側の口を開けたものが「獅子」、左側の口を閉じた角のあるものが「狛犬」です。「獅子」は古代オリエントのライオンが原型とされ、ライオンが棲息しない中国に伝わり、唐獅子(からじし)という架空の動物となり飛鳥時代に日本に伝わりました。一方、「狛犬」は、平安時代に中国と朝鮮(高麗)を経由した高麗犬をルーツとしています。

一体が口を開き、他方が閉じた「阿吽」の形式になっているのは日本独自のものです。しかし、時代を経るにしたがって両者の区別が曖昧になり、呼び方も単に「狛犬」になりました。
狛犬

直会(なおらい)

お祭りの後に、お供えした神酒(みき)や神饌(しんせん)をいただくことです。「食べ物」の語源は「賜わりもの」からきていると云われています。神様が召し上がったお酒や食べ物をお祭りに参列した皆でともにいただくことで、神様のお力を授かり、神々と一体となって生きていくということです。お祭りが終わって日常生活の場に戻る、直る会だから直会といいます。直会が済んで、すべての祭りがととのいます。

結婚式のときの三三九度の盃もその名残です。新郎と新婦が神様のおさがりの同じお酒を飲むことで一つになるのです。

鎮守の森

その土地の守護神を祀った神社を取り囲む森です。神社の建物の中に神様がおられるというのではなくて、もともと森や山や川のなかに何かパワーが湧き出るのを感じた昔の人が、そこにある巨木や巨石に神様を降ろしていたのです。時代が進むにつれて、いつでも参拝できるように神社が建てられたのはその後になります。
鎮守の森

山と鼻と鎮守の森

下からのエネルギーが、せり上がってできたものが山です。山には生命力を回復させる素晴らしい神の気が籠っています。それは人間の鼻と同じです。

鼻は脳が大きくなって、なかからその力で顔の骨が押されて飛び出たものです。他の動物は、脳が小さいので、低い鼻です。においをかいだり、呼吸するだけの器官とは違い、脳が人間になりましたよという証拠です。だから、きれいとか汚いではなく、人間の顔は神秘にできています。

顔のど真ん中にできた、いわば鼻が鎮守の森です。鎮守の森は、下から神様のエネルギーが出て盛り上がったところです。ここに神様が宿っていらっしゃるという場所なのです。

ご祈祷

ご祈願ともいい、神様のご加護をいただけるように願い求める神事です。通常のお参りは外から拝礼しますが、家内安全、商売繁盛、厄除など特別なお願い事があるときは社殿にあがって拝礼します。

安産祈願

子供は、神様から「授かる」といい、神様からの恵みと考えられてきました。妊娠五ヶ月目の戌の日に神社にお参りし、安産を祈願し、帯祝いを行います。帯祝いとは、大切な子を授かった身に感謝し、岩のように丈夫に育ちますようにとの意味を込められた「岩田(斎肌)帯」をしめる習わしのことです。犬は多産で安産であることから、これにあやかってこの日にお参りします。
安産祈願

産湯(うぶゆ)

赤ちゃんが生まれてすぐに氏神様がお守りくださる土地の水につかることです。産湯の後、麻の葉模様の生地で作られた産着を着せ、生命の発展を祈ります。

麻は虫がつかず、魔除けの意味があり丈夫でまっすぐ成長することから、赤ちゃんがすくすくと元気に育ってほしいという願いが込められています。
産湯

お七夜

子供は神さまからの授かりもの。赤ちゃんの名前は誕生して7日目の「お七夜」につけるのが一般的です。赤ちゃんの名前を神さまに報告するために命名書を神棚の近くに貼ります。昔は子供が誕生しても必ず無事に育つとは限らなかったことから、「七日目」を大事な節目とし、お祝いをしたのがはじまりです。
お七夜

初宮詣(お宮参り)

赤ちゃんが初めて氏神様にお参りして、無事に誕生したことを感謝し、健やかに成長することをお祈りします。また、新たに地域の氏子の仲間入りすることを奉告します。

氏神様は自分が住んでいる地域の守り神なので、自宅周辺か、親御さんの出身地・実家周辺の神社へ赴くのが古くからのならわしですが、どちらの神社へ参っても差し支えありません。赤ちゃんが無事に誕生して1ヶ月を迎えたことを神様に感謝して、男の子は生後31日目、女の子は33日目にお参りするのが一般的ですが、皆さんがそろって集まることができる日がよいでしょう。
初宮参り

お食い初め

乳歯が生え始める生後百日頃を迎えるときに、一生食べることに困らないようにとの願いを込めて、お膳を用意し食べる真似をする儀式を行います。平安時代から始まったといわれています。お膳には赤飯や鯛などの焼き魚、吸う力が強くなるようにとお吸い物などを載せ、また地域によっては、歯が丈夫であることを祈り、お膳に小石をいっしょに載せるところもあります。
お食い初め

七五三詣

初宮参りにつづき、子供の成長を感謝し、これからの無事を祈って氏神さまにお参りするのが七五三詣です。男性と女性とは体の仕組みが違い、男の子・女の子で成長するときも少しずつ異なりますので、祝う年齢も異なっています。一般には稲の刈り取りを終えた11月15日前後にお参りします。
七五三は子供の厄年といえます。子供が大人になるまでには色々な節をのり越えて成長し、その課程を祝う形として七五三はあるといえます。

3歳→男女の「髪置(かみおき)」のお祝い
5歳→男子の「袴着(はかまぎ)」のお祝い
7歳→女子の「帯解(おびとき)」のお祝い
753千歳飴

結婚式

日本の結婚式の歴史は、「古事記」や「日本書紀」の記紀神話に記されており、様々な逸話が残されています。「国生み、神生み」する初めての夫婦神である伊耶那岐神(いざなぎのかみ)と伊耶那美神(いざなみのかみ)の結婚式の形を範として、古代から受け継がれた日本の儀式です。

平安時代には、男性が女性の元へ通う「通い婚」という風習があり、女性の元へ通いつめ三日目に、お披露目の宴が催され、これが現代の披露宴に類似するものだとされています。

結婚式は家の中でおこなわれていましたが、明治33(1900)年に大正天皇(当時皇太子)のご成婚のときに初めて現在のような神前結婚式がおこなわれ、これを記念して、東京の東京大神宮で神前結婚式が始まり、以後、各神社に普及していきました。

神前結婚式のクライマックスの夫婦固めの儀いわゆる三三九度は、3回に分けて3杯ずつ頂くのでそうよばれますが、以下のような意味合いがあります。

一杯目:(過去)新郎新婦の巡り合わせをご先祖に感謝する
二杯目:(現在)二人で末永くちからを合わせて生きていく
三杯目:(未来)これから築いていく一家の安泰と子孫繁栄の願いを込める

神話から祖神、祖神から祖先、そして自分たちがそれにつながっているという意識をもって臨みたいところです。

結婚式

祈年祭

「きねんさい」、「としごいのまつり」といいます。「とし」は稲の実りを意味し、稲種をまく季節のはじめにあたり、その年の五穀豊穣と国家の繁栄、国民の幸せを祈願します。

新嘗祭

新嘗祭は、毎年秋十一月に、稲の収穫を祝い、神々からの恵みに感謝するお祭りです。宮中をはじめ全国各地の神社でとりおこなわれます。宮中の新嘗祭では、天皇自らお告げ文(祝詞)を奏上され、そして自ら皇居の吹上御苑の水田でお作りになられた稲米が、根つきの稲穂のまま天照大御神・天神地祇(天つ神、国つ神)に親しく捧げられます。

場所は吹上御苑の宮中三殿です。これは、伊勢神宮の御代宮として天照大御神をお祀りしている賢所(かしこどころ)、神武天皇から昭和天皇にいたる124代の天皇、皇族の方々をお祀りしている皇霊殿、天神地祇(天つ神、国つ神)が祀られてる神殿の総称です。

戦前までは「新嘗祭」として祝日でしたが、GHQの神道指令によって神道と国家行事が切り離され、戦後からは、米国の9月のLabor Day と 11月のThanksgiving Day を合わせた Labor Thanksgiving Day という祝日が考案され、これの和訳で「勤労感謝の日」と改称されました。

神道のこころ

※十月十七日の伊勢神宮の神嘗祭(かんなめさい)も天皇がお作りになられた稲米が捧げられます。天皇はこの日、宮中から遙拝します。
※神嘗祭は、神様に供えることに重きをおいたもの。そして、一か月後の新嘗祭で、天皇も自ら召し上がります。新嘗祭が終わって国民も初めてその年の新米を食べることができました。神様への感謝を先にするすばらしい考えだと思います。
※天皇が即位されて初めて行われる新嘗祭を大嘗祭と称し、古来よりわが国における最高至貴なお祭りとされてきました。この大嘗祭は古く千三百年以上も前からとりおこなわれてきました。

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