天岩屋戸の物語

太陽神である天照大神が、弟の須佐之男命(すさのをのみこと)の乱暴狼藉に頭を悩まし、天岩屋戸にお隠れになりました。すると太陽の恵みは失われ、世の中が真っ暗になりました。これは困ったということで、思金神(おもいかねのかみ)という物知りの神様は思案をめぐらせました。伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト)が八咫鏡(ヤタノカガミ)を、玉祖命(タマノオヤノミコト)が八坂瓊曲玉(ヤサカニノマガタマ)をつくり、これを玉串に飾って祭壇に捧げました。そして、天児屋根命(あめのこやねのみこと)が祝詞(のりと)をあげ、長鳴鳥(ながなきどり ニワトリ)を鳴かせ、天宇受売命(あめのうづめのみこと)という女神に舞を踊らせて、神様たちの宴会を開いたのです。外がなにやら賑やかなので、天照大神が天岩屋戸を少し開けてみると、なんと入口にさし出された鏡に自分のお顔が映っています。ますます不思議に思われ、もう少し開けたそのとき、天手力男神(あめのたぢからお)という力持ちの神様が天岩屋戸をググッと一気に開いて、天照大神を外へとお連れしました。すると闇は消え、再び太陽の恵みがもたらされたという神話です。

このお話では、天照大神のおちからを取り戻すために、神々がそれぞれのご神徳を発揮する様子が描かれています。このとき天照大神のお顔を映した鏡は、天照大神の魂が宿るご神体として伊勢神宮に納められ、今も大切にお祀りされています。

どうしてこのようなことが書かれているかというと、日本人の文化を考えてみる必要があります。古来、日本人が一番大切にしたのは、お米と衣服の布、反物です。お米は、日本人の主食であり、エネルギーの元です。約38億年前に地球に生命が誕生したのは、水の中、泥の中からです。そして米は田んぼの泥の中から出てきます。だから稲は日本の土地の生命力そのもだと考えました。日本人はそれがいかに大事であるかということで、稲ではなく、「こめ」といいました。「こ」は「おとこ」、「め」は「おとめ」をあらわし、すなわち、男と女、生命という意味が含まれています。だから命の根である「いね」からとれたものを、命の根源として、「こめ」をたたえたのです。トマトの木からとれたものはトマト、ナスの木からとれたものはナスとしかいわないけれども、「こめ」を「いね」といわないのは、そういうことからです。布は、外国では動物の毛皮からつくりますが、日本人は木の繊維から作りました。木、つまり自然を大切にしてきたので、着物というものも非常に大切にしたのです。よく神職が、大麻(おおぬさ)という、木の棒に紙のひらひらが垂れている祭具を振っているところを見かけます。あれはお祓いをしているのですが、祓いの神さまの力のこもった大麻によって、みんなを祓い清めるということをしています。大麻は、最初は紙ではなく布であり、一番大切なものを神さまへ捧げ、またそうした大切なものには、神さまが降りてこられるという考えがあったのです。

天照大神は、弟の須佐之男命の乱暴の最初のうちは我慢しておられました。しかし、田んぼを壊し、機を織っている女の人のところへ皮をはいだ獣の死骸を投げ込んで破壊したということで、ついにお怒りになった。つまり、大切な米の田んぼと、着物の伝統を破壊されたことによってお隠れになったのです。これには、須佐之男命は朝鮮から来られたという説があり、当時、朝鮮からいろいろな文明が入ってきました。人々はそれに飛びつき、日本古来のものをないがしろにしたということが、この神話の背景にあります。これは、戦後以降の日本と同じ状況です。欧米の文明を真似て、本来のものを忘れてしまった。天照大神さまがお隠れになっている状態なのです。

お隠れになっている神さまに外に出てもらうには、天児屋根命が美しい祝詞を唱えたように、天宇受売命が舞を踊ったように、神様に喜んでいただく。幸せを願う。それが日本の祭りの原点です。


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