御祭神 菅原道真公

菅原道真公
清涼殿に雷を落とす菅原道真公

平安時代に学者の家系に生まれ、5歳で和歌を詠み11歳で漢詩をつくるなど幼少の頃から学問に秀でていました。醍醐天皇の御世、右大臣として活躍した当時の一流の知識人でしたが、左大臣藤原時平らの陰謀によって、九州の大宰府に左遷され、その2年後に亡くなります。その後、道真を陥れた人たちが非業の死を遂げ、京都御所の清涼殿に落雷がおきるなど災いが続きました。

人々は祟りを恐れ、鎮魂の地として選んだのが雷の神様を祀っていた京都の北野。この地で雷の神様と合体した道真は天神様とよばれ、道真を祀れば祟りが止むと評判になり、各地に天満宮が建てられました。一方で、一般の農民には稲作に必要な雨をもたらす「稲妻」としてうけとめられ、「たたり神」が、稲の実りを授ける「めぐみの神」となって広く浸透していったのです。

やがて、各地に祀られた天神様は、災いの記憶が風化するにしたがい、道真の生前の学問の偉大な業績やその清らかで誠実な人柄から、後に、文学、詩歌、書道、芸能の神あるいは慈悲の神として崇められるようになりました。そして、その天神信仰を中心に各地に天神講が普及して、全国に天満宮が建立され、今、学問の神として多くの人気を集めています。

才能に恵まれながらも不遇な最期を遂げることとなった道真。そんな自らの境遇を都を去る際、愛する梅を読みこんだ和歌に託しました。

東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花

主なしとて 春を忘るな

この家の主がいなくなっても、春になれば東風よ、

京都から九州まで梅の花の香りを忘れずにはこんでおくれよ

このため、全国の天満宮には梅の木があります。梅は古来から厄除けの木として尊ばれてきました。寒中に耐え、香り高い花を開くことから、縁起物ともされています。

歴史

當麻の寺田、當麻寺の仁王門から東にあります。創立年代は不詳ですが、元當麻寺の鎮守神であったといわれています。
天保5年6月に拝殿が、安政6年8月には御本殿が再建されました。また、平成9年9月には、氏子様の深き敬神の念からのご寄進で、御本殿、鳥居が全面的に修復、塗り替えが施され、さらに拝殿の一部も塗り替えられました。

御神体

菅原道真公のお姿を木彫りにして御神像としております。祭神のお姿を御神体としてお祀りしている神社はめずらしいです。
文久元年(1861年)に造られたもので、御体内に六根清浄大祓詞(ろっこんせいじょうおおはらえのことば)が入っております。これは、天保4年(1833年)に神道管領から当時の宮司に授けられたもので、人は常に心を清くすべしというものです。さらに、氏子の安全祈願文もあります。

四季の祭り

當麻天神講(60人講) 7月25日
(2019年より一時休止中です)

旧當麻町大字當麻に伝わる天神さん信仰の講によるもので、毎年頭屋(とや)を2軒選び、古いしめ縄をはずして新しいものに付け替えるという習わしです。しめ縄は、天神講の家の中に悪神が入ってこないよう、家族の安全を祈って掲げられます。
天神講の歴史は古く、元禄時代(1688~1704年)から400年間にわたり継承されてきました。350年ぐらい前までの帳面も保存されており、天満宮の石灯籠に刻まれた年代からも、その古さがしのばれます。
もともと講を構成していたのは、大字當麻の本家筋の60人が主でありました。しかし、近年は核家族化がすすみ講員の転出も伴い、人数も減少しています。伊勢などではよく見られる天神講ですが、奈良県下で今は大変めずらしいものとなっています。
菅原道真の誕生日にあたる7月25日に行われています。(旧暦6月25日)

だんじり祭り    10月第2土曜日、日曜日
お祭り

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